任天堂から発売された家庭用ゲーム機のファミコン=ファミリーコンピュータの開発責任者、上村雅之さんが2021年12月6日、亡くなりました。78歳でした。今回はファミコンで衝撃を受けた子供の思い出など。
ファミコンの思い出
調べて見ると1983年7月15日に販売されたそうで。ちょうど子供時代直撃になります。当時はそんなに友達じゃない家に上がり込んででも、とにかくめちゃくちゃゲームを見てた思い出があります。ひたすらプレイする所をみては色んな発見があってみてるだけでもお腹いっぱいな状態。
弟の誕生日プレゼントとして来た我が家のファミコンは、同時プレイをしてはケンカする危険なものでした。ケンカして嫌やのにどうしても楽しいからプレイしてしまう。。。なんちゅうおもちゃや。
ケンカをしてもついついまた遊んでしまうファミコンの魅力の中で強烈なのが、「テレビの中に映るものを操作できる」です。当時テレビって夢があるメディアで毎日テレビ欄を見ては今日はどんなテレビを見て楽しむかをさらに操作できて遊べてしまうのが凄い最先端で楽しかったです。
最初に買うソフトもバルーンファイトとアイスクライマーで悩みましたが、画面から出てくるカラーがたくさんあって面白そうなアイスクライマーにしました。周りにバルーンファイトを持ってる人が多くて借りれるなーと子供なのにやらしい計算してましたw
ディスクシステム時代はちょうど、ファミコンの熱が冷めてたのとディスクシステムが高かったのもあってその辺りは遊べてなかったのですが、たまたまロックマン3を借りたぐらいから再びハマってディスクシステムも借りるぐらいでした。アイスホッケーがめちゃ面白かったなー。
コントローラーも遊びすぎて十字ボタンの中のゴムが破れてベコベコに。ある時からはジョイカードを繋げて遊んでました。確か黒いヘクター87仕様のやつ。連写も辛いので基本はオンにしてます。長時間ゲームをしたいのもあって楽させてもらいました。
中古じゃなくて当時、最後に買ったソフトは、ゼルダの伝説1だったと思います。ディスクでは遊べてなかったので助かりましたが後から音源が違うとか知ってディスク版も遊びたいなーと感じていました。
ファミコンがなかったらこんなに楽しい人生じゃなかったなーと思ってます。ありがとうございました。